子育て

小学生だった娘が不登校を克服した記録。不登校が治るきっかけとは?

長い休み明けは「無理して頑張らなくていいよ」などという広告や、有名人がSNS上で呼びかけたりして、子育て中の母親として心がザワザワします。

 

同じ日本で生きていて、毎日楽しく生き生きと学校生活を送っている人たちがいる一方、行きたくても学校に行けない子どもたちも間違いなく、いる。

 

わたしも子どもの不登校(正確にいうと、学校には一応通っていたので不登校ではないが)を経験したのでその辛さは痛いほどわかります。

 

見守ることしかできないのがとてつもなく歯痒く、10年以上前のこの不登校を振り返ると、今でも胸が苦しくなります。

「学校に行きたくない」異変に気付いた夜

小学校になじめなかった長女。

保育園の時から感じていたことは、彼女は「場所になじむのにものすごく時間がかかる」という傾向がありました。

 

年長さんになってようやく笑顔の時間が増えたのに、小学校に上がるとまた笑わなくなるんじゃないか・・・

 

小学校に入る時も少し心配しましたが、予感は的中。

 

入学と同時に笑顔が一気に消えました。

 

「お友だち、出来た?」今思えば小さな娘にこんな残酷な言葉をかけていたのだと思うと、あの時の自分を叱りたくなります。

 

お友だちが出来て楽しかったら、「今日〇〇ちゃんと遊んだ!」とか自然と会話の中にお友だちの名前が出てくるはずです。彼女の口からお友だちの名前がない時点で察してあげればよかった…

 

長女の異変に気付いたのは、5月の連休明けでした。

 

夜、アイロンがけをしていたら子どもたちが寝ている部屋から「スンスン、スンスン」と変な音が聞こえてきました。

 

襖を開けてみると、布団の中で丸まって震える長女。

 

泣いていました。

 

朝は仕事に行くわたしに気を使って、一切泣かなかったので彼女の異変に気が付かなかったのです。「ここまで辛い思いをさせていたなんて・・・」と、胸が張り裂けそうでした。

 

と、同時に仕事をしていることを少し後悔したのも事実です。

 

「わたしが主婦で家にいてあげたら、学校に行きたくない、ということを気軽に言えたんじゃないか。」

 

という思いがグルグル回って、自分を苦しめたこともありました。

不登校を克服したきっかけ

当時、担任の先生とやり取りしていた「連絡ノート」で、夜の様子を記載し、相談したこともありました。

 

当然、先生は「学校でも様子をみます。」とのこと。連絡ノートには「今日も独りぼっちでした。」などとは一切書きません。

 

勿論、保護者であるわたしを気遣ってのこと。

 

この担任の先生とのやり取りが始まってからも、夜布団の中で泣く日々は続きました。

 

しかし1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎても変わりませんでした。

 

夜、泣いている娘を抱っこして、眠るまで抱きしめる毎日。

 

「この生活がいつまで続くんだろう・・・」

 

その時、ある考えが浮かびました。

 

「夜、疲れてすぐに寝てしまえば学校での嫌なことも忘れて泣かないんじゃないか?」と思ったのです。

 

我ながら名案だと思いました。

 

次の朝、娘にある提案をしたのです。

 

「ママね、ちょっと運動不足だから少しジョギングしようと思うの。一緒に朝走らない?」と娘に尋ねました。

「いいよ。」

 

この提案はすんなり受け入れられ、さっそく次の朝から二人でジョギングを開始しました。家から公園まで、時間にして約1時間。

・・・

しかし、やっぱり夜は泣き続けました。

この時期も先生との連絡ノートは続いていて、ある日のノートにこう書かれていました。

「お母さん、学校はお友だちを作りにくる場ではありません。〇〇さん(長女の名前)はちゃんとたくさんのお友だちがいます。彼女は本の中でお友だちを作っています。他のお子さんが経験していないことをやっているんです。ここはわたしを信じて、見守っていただけませんか?」

この言葉の力強さ。

 

もう、何も言うことが出来ませんでした。

 

「本の中でお友だちを作る」こんなことを言える担任の先生に巡り合えたこと、人との縁は財産だなと、10年以上経った今、本当にそう思います。

 

後から聞いたのですが、担任の先生のお嬢さんも高校まで不登校だったそうです。

 

本が好きでずっと一人で本を読んで、高校3年生が終わるころには数えきれない程の本を読み、最後の方は一人でいるさみしさより、歴史上の人物や外国の偉人などといった本の中のお友だちからたくさん学んだ、と言っていました。

 

このブログを書きながら、この動画を思い出しました。

TEDです。

この中の植松社長も同じことを言っていました。(6分37秒~)

「一生懸命自分の大好きだったことを追い求めていた時、周りの友達からも、先生からも、親からもそんなことしていて大丈夫なのか?意味なくね?なにそれ、自慢?」

こんな窮地にいた彼を救ったのは、まさに本の中の偉人たちだったそうです。

 

ライト兄弟だったりエジソンだったり・・・

 

壁にぶち当たっている時、本だけは見方であり、友だちであり、師でありました。

克服するきっかけは些細な事

きっかけを掴むまでは、暗くて長い出口のないトンネルを手探りで進んでいるような感覚で、毎日辛かった。

 

自分が仕事をしているママだったから?(実際、そう人から言われたので)

 

自分が子どもに向き合ってあげなかったから?(全然そんなことはないのに、一度ネガティブ思考に陥るとこんなことも頭をよぎるんですね)

 

でも、この担任の先生の言葉で娘を信じてみることにしたのです。

 

もちろん、すぐに良くなったわけではありません。

 

相変わらず夜も泣いていました。

 

そんな時は「大丈夫、大丈夫。先生も見守ってくれてる。ここでわたしがうろたえてはいけない。」そう自分に言い聞かせました。

 

この1年間、彼女は一体何冊の本を読んだのでしょうか?記録していなかったのですが、学校の図書館での貸し出し冊数は断トツの1位でした。

 

人がスランプにいるときは、じたばたして何か簡単に抜け出せる方法を探してしまいがちですが、そうじゃない。

 

実は解決する方法はとてもシンプルで、圧倒的な量を入れたとき、次のステージにいけるのではないかと、当時の長女を振り返った時、そう思いました。

偶然は奇跡のようにやってくる

2年生になっても、相変わらずお友だちはいませんでした。

 

時々、クラスのお友だちのことを話してくれますが、仲が良い感じではない。

 

学童も相変わらずつまらなそうだし、学童の先生からも「外で遊ぶ決まりなのに、全然外にいかない」とわたしが叱られる始末。

 

ここは親として頑張りました。

 

「彼女がお友だちと外で遊ぶ日は必ず来ますから、それまで本を読ませてもらえないでしょうか?」とお願いし続けたところ、学童の先生が根負けし最後は「仕方ないわね・・・」と許して下さったのです。

夏休み明けのある日、担任の先生から電話が掛かってきました。

 

学校から電話が掛かってくるということは、よっぽどのこと。

 

ドキドキして心臓がつぶれそうでした。

 

「お母さん、来週の月曜日の全校朝礼の時、〇〇さん(長女)に前に出て発表してもらってもいいですか?」

 

「何をですか?何の発表ですか?」

 

校長先生がたまたま草むしりをしていた時、娘の「雨ニモマケズ」を聞いてたらしいのです。

 

話を要約すれば、長女は普段校庭で遊ぶことはないのですが、2時間目と3時間目の長い休み時間にたまたま次の授業のため校庭に出ていた。

しかし、相変わらず一人で校庭の隅っこで歌を歌ったり独り言を言ったりしてぼーっと過ごしていた。

同じく校庭の隅っこで麦わら帽子で花壇の草むしりをしていた校長先生。

娘が宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を暗唱しているのを聞いて声をかけた。

「みんなの前でそれを披露してみない?」

娘、了承。

こんな流れだったそうです。

 

NHKの日本語であそぼ、に、子どもたちが「雨ニモマケズ」を暗唱しているシーンがありますが、それを見て娘は「雨ニモマケズ」を覚えました。

 

校庭で独りぼっちの時に横に校長先生がいたのも偶然。

 

たまたまその時ハマっていたNHKで、雨ニモマケズの暗唱をしていたのも偶然。

 

そして月曜日、全校生徒の前で見事に暗唱した娘は一躍クラスの人気者になったのでした。

 

偶然が重なり、些細なきっかけで学校になじめるようになることもあるのです。

 

子どもが不登校になると親は本当に辛い。

 

実際、担任の先生以外、誰にも相談できませんでした。

 

だけど、10年以上経った今言えることは「信じて見守ってあげて下さい。そうしたら、きっと突破口は見つかるはず。」ということです。

にほんブログ村 主婦日記ブログ ワーキングマザーへ
にほんブログ村

にほんブログ村 受験ブログ 中学受験体験記へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他生活ブログへ
にほんブログ村